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2022/5/24 開催 セミナーレポート 2022/8/22更新

エキスパートと探る 未来の事業機会 vol.4 食と農業の未来 -テクノロジーとバリューチェーンで変える日本の食料安全保障-

vol.4 食と農業の未来 -テクノロジーとバリューチェーンで変える日本の食料安全保障-

食糧不足の懸念に加え、コロナ禍によるサプライチェーンの一時的な分断やウクライナ情勢による供給減、価格高騰など。今、日本の食料安全保障は危機的な状況を迎えていると言っても過言ではありません。

今回は、食・農業・バイオ分野のエキスパートとして様々な領域で活動する齊藤三希子氏をお招きし、持続可能な食料供給・消費体制への欧州の動きや国内外の先行事例も踏まえた、テクノロジーとバリューチェーンで変える食と農業の未来についてお話しいただきました。

Speaker

齊藤 三希子 氏

齊藤 三希子 氏

株式会社スマートアグリ・リレーションズ 社長執行役員

早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修了。大学院で環境経済学を学ぶ。外資系総合コンサルティングファームのディレクター職を経て現職。
地域資源を活用した持続可能な地域モデルの創出や、AgriFoodTech、カーボンニュートラル、サーキュラーエコノミー、バイオエコノミー、SX(サステナビリティトランスフォーメーション)、食料安全保障、などの事業創出に多数従事。『Newspicks』にて「環境・エネルギー、食・農業、バイオテクノロジー」分野のプロピッカーとして活動中。
主な著書『バイオエコノミーの時代』『カーボンニュートラル2050アウトルック』『カーボンZERO 気候変動経営』『代替タンパク質の現状と社会実装へ向けた取り組み』等

日本と世界が直面する食料安全保障の危機とは

気候変動と人口増加が食料システムに影響を及ぼす

日本と世界が直面する食料安全保障の危機は、気候変動と人口増加によるものです(今回発表の資料に、ウクライナ情勢の影響は反映していません)。気候変動による穀物の収量増加率は低減傾向にあり、FAO(国際連合食糧農業機関)のレポートからも主要作物の生産量の増加ペースを維持することの難しさがわかります。またIPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)は、耕作面積の拡大が人口増加によって追いつかなくなった結果、2050年には穀物価格が最大23%上昇するという衝撃のレポートを発表しています。

農業は気候変動を加速させる要因のひとつ

実は農業は、気候変動の影響を受けつつ気候変動を加速させる要因でもあります。
経済セクター別に見ると、農業の温室効果ガス排出量は5分の1を占めています。加えて大量の水や化学肥料の使用など、我々の食料生産はかなり地球に負荷をかけていると言えます。

気候変動が食料システムに及ぼす影響
出典:FAO ”How to Feed the World in 2050", 2009 ,"The State of Food and Agriculcure ", 2016の資料を基に登壇者が作成

気候変動の影響を受ける中、人口増加や新興国の経済発展によって食料需要が増加し、2050年には畜産物は2010年の1.8倍、穀物は1.7倍の量が必要になると言われています。
一方で、現在全世界で収穫される穀物32億トンのうち、人間がカロリーとして摂取するのは37%であり、46%が食肉の飼料として消費されています。いかに我々が、非効率なカロリー摂取方法を食肉から行っているかがよく分かります。

持続可能な食糧システムへの転換に向けた世界の動き

しかも、世界では年間13億トンの食品ロスが発生しています。食品ロスを10%削減した場合の経済的な価値は約4,700億円と試算されており、食品ロスの削減は食料安全保障上、また経済安全保障的にもかなり効果があると考えられています。

このような状況から、農業から食卓までを「エネルギー・スマート」にする動きがあります。実際にEUでは「Farm to Fork Strategy」という戦略を持って、昆虫食や藻類、植物における代替タンパク質の研究開発を行なっています。また、アメリカやシンガポールでも、細胞を培養して食肉にする「細胞農業」に積極的に取り組んでいます。

食料安全保障の重要性
出典:農林水産省「平成30年度食料自給率について」より登壇者作成

では日本はどうかと言うと、食料自給率は徐々に減少、一部の食品に関しては9割を輸入資源に頼っています。野菜は73%と言われていますが、種の9割を海外に依存しており、日本の食料自給率を本当に上げるには種苗から国産に変える必要があると思っています。
また、今回のウクライナ情勢で実感した通り、一国に依存していると食料の確保が非常に難しくなってきます。輸入に頼らざるを得ないところに関しては分散化し、自然災害や海上交通での危機を想定した輸入先を検討する必要があると考えます。

この世界的な状況を踏まえ、持続可能な食料の生産や食料安全保障の強化、食品ロスの削減などに世界で足並みを揃えて取り組むことを目的に、2021年には「国連食料システムサミット」が初開催されました。

すでに始まっている食/農業領域へのテクノロジー活用と先行事例

CRISPR-Cas9によってゲノム編集技術の開発が加速

そして今、世界的な食料需要の逼迫に対応するものとして注目をされているのが、「ゲノム編集技術」と「細胞農業」です。

世界的に関心が高いゲノム編集技術ですが、遺伝子の膨大な情報の中から狙ったところをピンポイントで書き換えることができる「CRISPR-Cas9」の登場によって、簡易に、そして広く応用できるようになりました。

ゲノム編集食品の開発状況
出典:京都大学&リージョナルフィッシュHP

日本では、筑波大学がアミノ酸「GABA」を通常の15倍多く含むトマトを開発しています。他にも京都大学が開発した肉厚なマダイと高成長トラフグがあります。こちらは2021年にゲノム編集動植物の第1号として受理され、京都府宮津市のふるさと納税としても扱われています。

またゲノム編集は食品だけでなく、アメリカを中心に種苗ビジネスが世界的に広がりをみせており、6.6%/年の成長率で今後も拡大が見込まれます。

アクアポニクスが実現する、環境共生型の農業・水産業の確立

このような技術を応用し、弊社でも取り組みたいと考えているのが、水耕栽培と養殖を掛け合わせた次世代型の循環農業「アクアポニクス」です。魚の排出物を微生物が分解し、栄養素として水耕栽培に取り入れた水を、再び陸上養殖に戻すシステムです。水の使用量も抑えられることから非常に注目されていますが、陸上養殖に掛かる設備投資やエネルギーコストが大きいため、収益性が課題です。

世界的に注目を集めるアクアポニクス
出典:登壇者資料

この課題解決のための一つの手段が、ゲノム編集魚の陸上養殖です。
ゲノム編集魚は組み合わせによって可食部が2倍、生育期間を2分の1にできるため、通常の養殖業に比べると生産コストは4分の1になります。さらに、AI/IoTを活用して自動養殖システムを構築することで、高収益事業へと進化させることが可能です。現在、京都大学発のリージョナルフィッシュと連携して、その実現を推進しているところです。

世界のタンパク質危機を救う細胞農業

もう一つ期待しているのが、生物を構成している細胞を体外で培養する新しい生産方法「細胞農業」です。食肉と魚介類、あとは毛皮、革、木材、農産物が生産可能になると言われており、実現すれば動物愛護や生物多様性の観点からも非常に有効だと感じています。

将来的には、細胞培養でつくられる食肉や乳卵が新たな代替プロテインの一部になることも考えられ、食肉需要に対応するには従来のタンパク源の生産性向上だけではなく、代替タンパク源の開発が不可欠と言えるでしょう。

世界のタンパク質危機を救う細胞農業
出典:AT Kearney, How Will Cultured Meat and Meat Altenatives Disrupt the Agricultural and Food Industry, 2019を基に登壇者作成

2040年には培養肉と植物代替肉の市場シェアが60%に

A.T.カーニーによると、食肉市場のシェアは2040年には培養肉35%、植物系の代替肉25%、既存の畜産は40%になると推計しています。本当にこのような状況になると、スーパーに培養肉が並ぶことが当たり前になってきます。
すでに、先端技術の低コスト化とオープン化により、欧米を中心に研究機関でなくても自宅で簡単に培養肉が作れる「DIYバイオ」が急速に拡大しています。法整備は後追いの状況ですが、ゆくゆくは家庭の味の培養肉というものが出てくるかもしれません。

コロナ禍が培養肉への投資を後押し

このタンパク質危機を救う細胞農業ですが、新型コロナを機に市場の意識が大きく変わってきています。
コロナ禍以前は環境配慮や健康志向に対して代替肉市場の拡大が図られてきました。しかし、コロナ禍以降は家畜による感染症の拡大や食料危機に対する懸念やサプライチェーンの断絶から、自国で簡易に培養できる、もしくは生産できる技術に注目が集まっています。

培養肉企業への出資も、コロナ禍の2020年には2019年の6倍になり、多くのスタートアップが莫大な資金を集めています。

サプライチェーンや業界プレイヤーの構造変化

安全性評価レビューを受け、世界で初めて培養鶏肉をシンガポールで販売

実際に、2020年の12月にはEat Just社が世界で初めて培養鶏肉をシンガポールで販売しています。アメリカもシンガポールの食料安全保障評価を参考にしながら、自国での培養肉販売を検討している状況です。日本の農水省と厚労省にあたるFDAとUSDAの対応の棲み分けが決まり、培養肉の定義が明確になってきたことから、いよいよ培養肉の販売が始まるのではないかと注目されています。日本も両国を参考にしながら、市場投入を検討しているところです。

サプライチェーンの変革
出典:登壇者資料

食肉生産過程でステークホルダーに変化が生じる

では今後、培養肉の普及が進むことで既存のサプライチェーンや業界プレイヤーにはどのような変化が起きるのでしょうか。

既存の畜産肉と培養肉では、生産過程が大きく異なります。飼料育成や家畜の生産・屠殺といった工程がなくなる変わりに、培養液の生産や培養に必要な機器の開発と生産、そして牛肉細胞株の取得が必要になります。一方で、加工・流通過程においては概ねステークホルダーが共通します。

サプライチェーンの変革
出典:登壇者資料

消費者の受容形成につながる、戦略的なマーケティングが必要

食肉市場は日本の食品産業において非常に重要な役割を担っています。いきなり大きくステークホルダーが変わることはありませんが、和牛など国産ブランド家畜細胞の市場競争力を維持させるためには、畜産業者との共存方法を模索しながら、培養肉の市場を形成していくことが求められます。また、既存業界からの反発を避けるには、普及に向けた消費者の受容環境形成も大切で、戦略的なマーケティングが必要になると考えています。

日本での普及拡大に必要な要素とは

培養肉の普及拡大に取り組むメリットは大きい

サステナビリティ・食料安全保障・公衆衛生という3つの観点から考えても、培養肉の普及拡大に日本が取り組む意義は大きいと考えています。

  • サスティナビリティ
    温室効果ガスの削減や生物多様性の保護、製造に伴う水の消費を大幅に削減できる。
  • 食料安全保障
    グローバルサプライチェーンが断絶されても、自国内でほぼ完結した生産が可能に。培養肉生産に必要なエネルギー調達に関しては海外にまだ依存せざるを得ないが、そこも自国で研究開発できるよう今後は転換していくべきではないかと思っている。
  • 公衆衛生
    工場生産になるため、衛生的に管理しやすい。
日本での普及拡大に必要な要素
出典:登壇者資料

ビジネス化に向けての課題は、ルール整備やコスト削減

では、ビジネス化に向けての課題は何でしょうか。ここでは、市場面・普及面・調達面からお伝えします。

  • 市場面
    健全な市場を育てるためには、きちんとしたルール整備が大事。また、既存の畜産業者と共存するには、和牛ブランドを失墜させないよう、ブランドの知財保護も考える必要がある。
  • 普及面
    販売価格を下げるには、研究開発スピードの向上が求められる。また、まだ培養肉へのなじみが薄いので、消費者の受容環境形成が必須。
  • 調達面
    培養に不可欠なアミノ酸の調達を国産に切り替えていくための研究開発が必要。エネルギー源も100%国産にできるよう、再生可能エネルギーの活用を検討する。

日本が主体となってルールを構築し、世界に打ち出していく

知財保護に関しては、世界でもまだ話し合いができておらず、ルール形成もされていません。

国産ブランドの市場競争力を維持させるためには、和牛ブランドを形成している日本が主体となってルールを構築し、世界に打ち出していくことが重要だと考えています。世界的な培養肉ビジネスの活発化によって、国産ブランドの家畜細胞の無許可培養や海外持ち出しなど、和牛などのブランド力を損なわせる事態は避けなくてはいけません。

各国の動きも把握しながら、日本では培養農業に対してどの程度個別の法整備を進めていくべきか。情報不十分のまま「とりあえず禁止」となり、技術的に立ち遅れる。最終的には海外製に席巻されるという自体は避けるべきだと考えます。

質疑応答

講義の後には質疑応答も⾏われ、アクアポニクスを中心に多数の質問が挙がりました。その⼀部をご紹介します。

Q.アクアポニクスの魚と植物の組み合わせは、どのように選ぶのが大事なのでしょうか?候補にしている組み合せがあれば教えてください。
A.我々が今考えているのは、地元の意向を踏まえた組み合わせです。たとえば、要町では所縁のある鮎。浪江町はレタスかいちご、または付加価値が高い葉物系の野菜やハーブを育てたいと思っています。通常であれば、いちばん収益が高くなる組み合わせを考える必要があると考えています。また、淡水なのか、塩水なのかなどによっても組み合わせは変わってきます。
Q.日本人は安全性に対するこだわりが強い民族だと感じます。その中で、どのように認知転換をしていくべきと感じますか?
A.安全性に関しては確かにこだわりが強いので、世界的に見てたとえ技術的に先行していても、実際に国内に広がるのは遅いかもしれません。ただ、海外で普及することによって、国内への導入に抵抗感がなくなる民族でもあるのかなと思います。
Q.サステナビリティや食料自給を突き詰めると、どうしても背反が出てくると思います。食の選択の自由が無くなったり小売の機会損失だったり、その点についてはどのようにお考えでしょうか?
A.現状、食料安全保障に関する農林水産省のホームページを見ていただくとわかるように、必要な栄養素については「ジャガイモ何個分」のようにカロリーベースで書かれています。ですが、人間が生きるためにはカロリーだけでなく、必要不可欠な栄養素があります。それらも踏まえた上で、もしサプライチェーンが断絶されても、食の豊かさを維持する食料生産システムの再構築が必要であると考えています。
Q.培養肉の栄養素は完全に食肉と同じなのでしょうか。また温室効果ガス排出の観点から培養肉と代替肉ではどちらがよりエコなのでしょうか?
A.現在の技術では完全に今の食肉を再現できないため、栄養素は後付けで入れないといけません。今後技術の発展によって、味も栄養素も同じように再現できるようになるとは言われています。
また、今は培養肉を培養する際のエネルギーが大量に必要です。その点から言うと、植物性の代替肉の方が温室効果ガスの排出量は少ないという状況です。ただ、培養時に再生可能エネルギーを利用すれば、既存の食肉よりは削減されるという論文も出おり、今後は培養肉にかかる温室効果ガスの排出量も今より削減されていくと言われています。

最後に、引き続き食の分野に関心を持ち、日本の農業を支えて欲しいと締めくくられました。

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食・農業・バイオ分野でのご相談事例(※イメージです)

  • 農業用ロボットの活用状況と各プレーヤーの特徴
  • 人工光型植物工場の大規模化に向けた技術的ボトルネック
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