セミナーレポート IPランドスケープが変える、「攻め」の経営~技術・知財戦略に期待する、ダイセル新中期経営計画の真意~
2020.8. 25 TUE / 株式会社ユーザベースが主催するH2H(Home to Home)セミナー「IPランドスケープが変える、「攻め」の経営~技術・知財戦略に期待する、ダイセル新中期経営計画の真意~」が開催されました。昨今、IPランドスケープを経営テーマや知財領域の進化キーワードとして、全社的な活動に昇華させる企業が増えてきました。中でも株式会社ダイセルは、2020年に策定した新しい中期経営計画の中にIPランドスケープを盛り込んだことで注目を集めています。そこで今回は、株式会社ダイセルにて知財・IPランドスケープに取り組む江川 祐一郎氏と、同じく株式会社ダイセルで知的財産アナリストとしてIPランドスケープに取り組む若槻 智美氏をお招きし、対談形式でセッションを行いました。
[モデレーター]
株式会社ユーザベース SPEEDA 執行役員 技術領域事業担当:伊藤 竜一
Speaker
江川 祐一郎 氏
株式会社ダイセル 知的財産センター 知的財産ソリューショングループリーダー
(兼)事業創出本部 新事業開発部新事業企画グループ主席部員
1993年、ダイセル化学工業株式会社(現・株式会社ダイセル)に入社。研究所にて核磁気共鳴(NMR)を利用した材料分析を担当した後、1997年より工場にて医薬原料製造プロセス開発とプラント建設に従事。2000年より化学品・医薬原料・光学異性体分離カラムの営業を担当。2007年より知財部門にて出願権利化・特許訴訟に従事、2012年に弁理士登録、2013年より調査解析を兼務。2017年から2年間、新たな知財戦略の企画推進に専従、知財機能を活用した新規テーマのインキュベーションを企画、産官学連携による推進を実施。2019年、IPランドスケープを推進する知的財産ソリューショングループの新設に伴いグループリーダーに就任。2020年より事業創出本部を兼務、森林資源を活用した新産業創造に挑戦中。
若槻 智美 氏
株式会社ダイセル 知的財産センター 知的財産ソリューショングループ主任部員
(兼)事業創出本部 新事業開発部 新事業企画グループ主任部員
1993年、ダイセル化学工業株式会社(現・株式会社ダイセル)に入社。知財部門で特許等検索業務を担当。1996年より知財管理業務におけるシステム関連担当。データベース検索技術者2級取得。1999年に日本知的財産協会特許調査研修会(C9A)講師登壇。日本PLASDOC協議会、パテントマップ研究会等で活動経験あり。2019年より知的財産ソリューショングループでIPランドスケープ担当、事業創出本部を兼務。AIPE知的財産アナリスト(特許)認定。2020年より社内の調査支援チームのリーダーを担当すると共に、知的財産センターの中期課題である「攻めの知財」を推進、IPランドスケープの基盤作り、プロセス構築に奮闘中。
伊藤 竜一:早速ですが、ダイセルという会社と、日ごろ知財・IPランドスケープについてどのような取り組みを行っているのかご紹介をお願いします。
江川 祐一郎 氏(以下、江川):ダイセルは、昨年創立100年を迎えた化学メーカーです。当社は創業以来、「元祖・環境配慮型プラスチック」とも言える、植物由来のセルロースを原料とした素材を製造・販売し続けています。有機合成、セルロース、合成樹脂、火工品をコア技術にし、「ダイセル式」統合生産システムなど、化学の枠を超えたソリューションも含め、グローバル・ニッチ・トップのビジネスを展開しています。
また、近年力を入れている新規事業の創出では、「IPランドスケープ」の活用を掲げ、知財部門がプロアクティブに全社横断的に動くことで、経営・事業・研究へ様々な提言を行っていくことにチャレンジしています。
そのIPランドスケープを推進するために、2019年4月、私たちの所属する知的財産センターの中に「知財的財産ソリューショングループ」を新設しました。
知財ソリューショングループには4つのミッションがあります。1つ目が、データに基づいて全体を俯瞰した将来予測をすることです。経営、事業、研究の「羅針盤」になるという挑戦的なビジョンを掲げています。2つ目は、知財の視点を活かしたオープン&クローズ戦略を含むビジネスモデル開発。3つ目に、外部の企業、大学、研究機関とオープンイノベーションを行い、知財を先行取得すること。
そして4つ目に、「知財発テーマ」を設定してインキュベーションを行うこと。以上を「ダイセル版IPランドスケープ」として掲げて取り組んでいます。
中期経営計画にIPランドスケープを盛り込んだ理由
伊藤:ダイセルでは2020年6月に策定した中期経営計画「Accelerate 2025」において、機能別戦略の一つとして、技術・知的財産の分野で事業創出力を高めることを掲げています。そもそも中期経営計画に知財戦略を盛り込んだのはなぜですか。また、どのようなプロセスでIPランドスケープを中期経営計画の中に取り入れることを実現したのですか。
江川:IPランドスケープが中期経営計画に盛り込まれた大きな背景の一つには、2019 年に小河義美が社長に就任したことがあります。小河はもともと技術畑の出身であり、知財、中でも特に技術情報活用に興味と造詣が深い人物です。
一方で、このように会社全体で知財を生かそうという機運が高まったのは、この5年ほどで、ここに至るまでには長い道のりがありました。そこには、若槻をはじめとした現場のメンバーが知財情報を生かして様々な分析を行い、その内容やメリットを社内に発信し啓蒙する地道な活動が背景にあります。
具体的には、若槻のような現場のメンバーが経営陣や技術者に対して、知財情報を分析するといったいどのような結果が出るか、一つひとつ丁寧に説明し、粘り強くコミュニケーションを重ねて信頼を勝ち取ってきたことがベースとなっています。
その成果のひとつとして、5年ほど前に経営企画部門から、経営陣に知財の話をしてみてはどうかという打診があり、それが今回、中期経営計画にIPランドスケープが盛り込まれた契機になったのでは、と考えています。
伊藤:IPランドスケープという言葉が経営計画に盛り込まれる前は、社内でどのようなロビー活動を行ったのですか。
江川:経営計画に盛り込まれる前、というより、盛り込まれたため社内に広がっていったという側面が大きいのですが、重要なのは、なぜ盛り込まれて広がったのか、そのプロセスです。
一つは、様々な事業の担当者、事業部門長、経営陣の困りごとをフットワーク軽く聞いて回るということです。新しい企画や事業を行うとき、その現場担当者のプレゼンテーション通りに企画化して投資計画を立てても、実際に行ってみると上手くいかないことが往々にしてあります。
このとき、IPランドスケープというキーワードで技術分野や事業領域を俯瞰して見てみることでその要因がわかり、成功の足がかりが見いだせるということを、実際の分析結果などを見せながら伝えることが重要です。経営層や部長クラスでも、広い技術領域全体を俯瞰して見る機会は多くはないはずです。ざっくばらんに困りごとをヒアリングし、その要望に対してIPランドスケープという切り口で応えることが知財・IP ランドスケープを社内に広めていく上で重要だと考えています。
伊藤:IPランドスケープで計画中の事業について俯瞰・予測できると言い切ってしまうと、期待値ばかり高まってしまうのではないでしょうか。そのバランスをどのように取っているのですか。
江川:俯瞰・予測への期待というより、知財部門のメンバーへの期待が重要と考えます。ダイセルでは今春から、医療・ヘルスケア、半導体やセンシングなど次世代先進技術、セイフティなど、対面する市場別にビジネスユニット制を導入し、また、最近では、高機能樹脂を手掛けるポリプラスチック社を完全子会社化しました。そのような情報は、社外発表までは非常にセンシティブな情報としてトップシークレットですが、、知財やIPランドスケープで経営や事業に貢献しようというならば、そのような情報でも入手しておかねばならない場合があります。
そのようなときこそ、日頃の社内人脈が試されます。普段から知財部門の全メンバーが様々な役職、部門の社員とコミュニケーションをとっているかどうかですね。知財部門以外の社員から積極的に相談が持ち込まれるよう、素直に興味を持って話を聴く姿勢を示しておくことが重要なポイントになると思います。
伊藤:若槻さんは社内にファンを広げるために、どのようなスキルや人となりが重要になるとお考えですか。
若槻 智美 氏(以下、若槻):できるだけ早くレスポンスすることが重要であると考えています。リズム良く情報のキャッチボールを行うことが、社内のメンバーとの信頼に繋がります。
伊藤:知財分野と、コミュニケーションに深い関係があるというのは少し意外なのですが、社内の信頼を得るためには実際の分析結果やその精度よりも、コミュニケーションの方が重要なのですね。
若槻:はい。いくら精度の高い分析結果を出しても、その内容が担当者の琴線に触れなければ信用してもらえません。分析から浮き彫りになった課題を提示し、次にどうするかという未来の話に繋げたいと常に思っています。
江川:私もその点は一番の課題だと感じています。社内から問い合わせがあったとき、クイックに応えキャッチボールを行うことによって、社内の信頼が積み重なっていくのです。こうした社内とのコミュニケーションを加速化するためにも、情報収集が私たちにとって重要になってきます。SPEEDAはその市場や業界、プレイヤーの情報収集の為に欠かせないプロダクトと言えます。
知財のメンバーが弱いのはなぜその特許取得を推進したいのかと問われたときに、返事に窮してしまうところです。その様な問いをチャンスに変えるために経営陣の困りごとや、事業企画の担当者がどうすればブレイクスルーをもたらせるのか、という答えをしっかり把握しておく必要があるでしょう。
知財部の持つ武器をどのように使うと、より効果的に経営陣や事業企画の担当者をバックアップできるかということを、意識して取り組んでいます。
伊藤:確かに最近、知財部の方々からも事業側の関心事やトレンドを掴んでおかないと話にならないと伺います。SPEEDAのトレンドレポートや業界情報で外観を掴んでいただき、エキスパート情報でより深い知見を得ていただくとよいかもしれません。SPEEDAで扱っているような特許情報を基点とした市場情報を事前にインプットし、提案の場では知財のマップ分析を見せたりすると、事業部との会話も弾みIPランドスケープが加速するのではないでしょうか。
江川:今まさにそこに取り組んでいるところです。せっかく得た市場情報をどのように使うのか、経営陣や事業企画者に方向性を示せるように、市場情報と特許情報を繋ぐ勘所を育てる必要があると感じています。
IPランドスケープをマインドマップで、ひと目で魅せる
伊藤:次に知財は経営側からどのような価値や期待があると見られているか伺いたいと思います。日々経営陣と接し、自らも事業開発を手掛けるお二人ならではの視点でお教えいただけますでしょうか。
江川:確かに知財部門が経営や事業から期待されているかというと、残念ながらまだそれほど高くはありません。だからこそ、これから実力を備えて期待値を上げていくことが目標です。それを実現していく人財は、知財部門に留まらず、社内の様々な部署にいると思うので、IPランドスケープに取り組むときに情報を活用して事業の方向性を示せるメンバーを見つけ、巻き込むことが重要です。
私達の場合、社長や経営陣にIPランドスケープを見せる際、一つ工夫していることがあります。それは経営層の知りたいことがひと目で分かるよう、我々が「IPLフレームワーク」と呼んでいる一枚のシートに、事業に必要な要素をすべて集約して示すということです。そもそも経営層はとにかく忙しく、分厚い資料に目を通す時間がありません。加えて、事業を取り巻く俯瞰図を知りたいと考えています。つまり、3C分析や SWOT分析、SDGsやESGを基にした、ダイセルの強みや取り組むべき社会貢献活動から導き出されるこれからのビジネスモデルと、取るべき特許、といったこの一連の流れを示すことが重要です。その要望に応える情報を提案出来れば、IPランドスケープは更に加速していくと考えています。
一方で、これほど膨大な情報を知財部門だけで収集し、まとめ上げるのは非常に難しいものです。そこで経営層に提出するヒートマップやフレームワークを作成する際は、経営企画や事業企画など様々な部門のメンバーと力を合わせ、完成したフレームワークは、社内を巻き込み具体的な活用に向けて進めていきます。
伊藤:知財アナリストの認定資格をお持ちの若槻さんならではの魅せ方の工夫はありますか。
若槻:私は知財部門に長く所属していますので、どうしても知財や特許基点で物事を考えてしまう部分がありました。しかしその視点では伝えるべき情報が正しく伝わらないと危機感を抱き、今ではSPEEDAをはじめとして得られる客観的な市場情報を重視し活用しています。例えば他社分析であれば、リサーチしたい企業名のホームページを見て製品や技術の説明を読み、どのようなキーワードを使っているのか把握します。その後、SPEEDAなどで企業情報や周辺情報を収集して、特許情報を見ていきます。
その後、集めた情報を一枚のシートにまとめます。このとき重宝しているのがマインドマップツールです。経営層にIPランドスケープを説明するとき、マインドマップは非常に親和性が高いと感じています。自社の強みや社会にできる貢献活動を中央に置き、その周囲に3C分析やSWOT分析、ビジネスモデル、取るべき特許などを枝葉のように張り巡らし、それを経営陣に見せています。
知財の領域を越境して事業に貢献する
伊藤:現在知財の最前線で先駆的な取り組みを行っているお二人ですが、今後知財の現場はどのようなアクションをとるべきでしょうか。
若槻:扱う情報やアイデアを実現可能な特許の範囲内に限定してしまうと、その枠からはみ出したときに、その権利は当社とは関係がないものだと判断されてしまうこともあります。今後も、知財という枠組みを取り払うという方向性で動く必要があると思っています。
江川:当社では事業部側に「パテントコーディネーター」という知財戦略の責任者を、研究開発部門に研究テーマに関する知財責任者として「IP責任者」をそれぞれ置いています。私たちはこの2つの役割の方々と三位一体になり、知財に関する課題に取り組んでいます。まさに「事業戦略、R&D戦略、知財戦略は三位一体であるべき」という考え方を組織として具現化しています。
この「パテントコーディネーター制度」は約20年前から導入していますが、今年度から、パテントコーディネーターを事業部長クラス以上に限定することにしました。その事業の行く末を真剣に考えている人や強い問題意識や当事者意識のある人こそ、IP ランドスケープを担うべきパテントコーディネーターとしてふさわしいと考えたからです。事業部長クラスであれば、当社の規模感なら一人ひとりと直接コミュニケーションを取れますので、できるだけ細やかなやり取りをするように心がけています。
伊藤:スタートアップと共創するケースや、外部との取り組みを進める際に、普段の社外活動が活きている例はありますか。
江川:社外と組む際、スタートアップと事業のタネを探すときや既存事業を整理する上で、IPランドスケープを活用できると考えています。当社とスタートアップが組むメリットや、当社の目的の達成などを、CVCやLP(投資事業有限責任組合)等と協力し、また情報収集しながらIPランドスケープを基に分析しようとしています。
伊藤:その中で、IPランドスケープを活用した社外との取り組みで代表的なエピソードは何かありますか。
江川:当社はもともとセルロイドの会社です。セルロイドは樹木から取れるので、私たちは「樹木を使った事業」を100年に渡って行ってきているわけです。
知財的な発想で言えば、「セルロイドを一つ上位概念で捉えると樹木になる」ということだと思います。そのような考え方から、京都大学の先生から「ダイセルなら樹木に馴染みが深いだろう」とお声掛けがあり、「”森林化学産業”を一緒に創出しよう」という構想を考え始めるに至りました。
そこで、私たち知財部門が中心となって、知財の領域からインキュベーションすることとなりました。その際、社内で予算やリソースを得るために、企画の精度や説得力が重要であり、その根拠をつくるために、IPランドスケープを活用しています。
事業企画の説得力を増すには、この事業ができるのはダイセルだけだと、知財を起点に客観的に分析してネタをとがらせていくことが重要です。知財を使った客観的な分析は他の部門では難しく、知財部門で行う価値があります。
そのプロセスでスタートアップと話をすることもありますが、彼らは私たちの持ち得ていない事業や技術を持っていることも多く、共によりエッジのあるビジネスを行うパートナーとしてどのように組むか、様々な方向性からシミュレーションすることが大事になります。そのような場合、知財情報と併せてマーケット情報も重要視しています。
伊藤:様々な企業の方から、IPランドスケープを突き詰めたら情報の戦略組織になってきているとお聞きすることも増えました。
江川:究極的には、知財部門はなくなってしまってもいいとすら思うことも少なくありません。知財部門は情報分析の羅針盤を担う組織だと考えていましたが、最近は先行きを示せる機能を持つ部門なら、例えば経営企画部門の中に収容されることで、よりその可能性を発揮できるのでは、とも考えます。
勘所を備えている人財は今後より重要視されると思っており、情報を起点に未来の事業の方向性を強く指し示すことのできる人財を発掘したり育成することがキーだと感じています。営業部門などの他部門から異動なども、組織として選択肢を見極める上で必要です。
若槻:特許とは、とてつもないビッグデータなのです。そこから必要な情報を取り出し処理することは非常に手間のかかる大変な作業になります。特許を知っているからこそ、特許の勘所や大量にある情報の見極め方がわかります。それは知財部門だからこそ持ち得るものです。
江川:さらに、知財部門の位置付けとして重要なのは、既存事業の縛りがないことです。このテーマは新規性が強すぎて手が出せないという話になった時、そのテーマを預かる部門として、知財部門は他の事業部とビジネス上でライバルになったり、利害関係が発生しないので、そのテーマをインキュベーションするのに適切な部署として存在できるのではないかと思います。
全部門の横串となり得る部門であることも、知財部門の大きな特長だと思います。どの会社でも知財部門は全社を俯瞰できるので、その機能や立場を上手く使うべきだと考えています。
伊藤:ありがとうございます。最後にお二方から一言ずつメッセージをいただけますでしょうか。
若槻:日々IPランドスケープに取り組んでいて感じるのは、これから取り組むべき事業の方向性を指し示すのは本当に難易度が高いということです。普段、調査分析をしていると想定したような結果が出なかったり、そもそも情報がないということが多く、立ち止まってしまう場面もあります。しかし、そのような時に近くに相談できる仲間がいることが、何よりも大切だと感じています。相談できる相手は社内でなくても良いのです。このようなセミナーや社外活動で知り得た方々を含め、壁に突き当たったときは一人で抱え込まず、周りの意見を聞いてみることで、思わぬ解決の糸口が見つかるものです。
江川:IPランドスケープに関わっておられるみなさんの悩みは、私自身もリアルタイムで悩んでいることです。様々なフレームワークを活用しようと試行錯誤していますが、経営陣や事業企画に届かないことも多々あります。今後もオープンマインドで、より多くのみなさまと情報交換していきたいと考えています。
伊藤:ありがとうございます。江川さん、若槻さん、本日は貴重なお話をありがとうございました。